ハプスブルグ帝国最後の皇后エリザベートにみる生き方
エリザベート(エリーザベト・アマーリエ・オイゲーニエ・フォン・ヴィッテルスバッハ)
1837年12月24日生まれ(〜1898年9月10日)
画像引用元:エリーザベト (オーストリア皇后) – Wikipedia
美貌の皇后エリザベート
「エリザベート」という女性をご存知でしょうか?彼女の美しい白いドレス姿の肖像画は有名で、ハプスブルグ家を語る時には欠かせません。エリザベートは19世紀末の激動の時代のヨーロッパに生まれ、オーストリア・ハンガリー帝国の皇后でありながら、君主制を否定、形式にしばられず自由な生き方を模索した女性でした。
ヨーロッパ一の美貌といわれた彼女は、その美しさを保ち、身長172cm体重50kg ウエスト50-55cmの体型を維持すべく、あらゆるダイエットと美容法を試したと言われています。進歩的といわれながら贅沢な生活を続けた彼女は、しばしば批判の対象となりましたが、今なおオーストリアやハンガリーで絶大な人気を誇っています。
自由を愛して
エリザベートは、1837年今のドイツの公爵家に生まれ、自然に囲まれおおらかに育ちました。彼女の人生が狂ったのは16歳の時。その美しさ故、従兄フランツに見初められ、結婚することとなったのです。
フランツはオーストリア帝国の皇帝で、18歳で即位し、68年間在位した人物です。国民のために尽力し、今なお「国民の父」と敬愛されています。しかし、自由に育ったエリザベートには宮廷生活は耐えがたく、彼女はイタリアを旅行したり、病院を慰問したりとウィーンから逃避しました。また、心安らぐ場所としてオーストリアの支配下にあったハンガリーを熱愛したのです。
そんな中、皇太子ルドルフは自由主義の影響を受けて皇帝と反目し、30歳で謎の死を遂げます。ルドルフの死後、エリザベートは哀しみのあまり死への願望を募らせ、ベールを被り扇子で顔を隠し、生涯を喪服で通しました。そして61歳の時スイスでイタリア人無政府主義者により暗殺されたのです。
彼女の生涯はウィーンでミュージカル化され、ドイツ語ミュージカルとしては空前の大ヒットとなりました。そして、7カ国語に翻訳され世界中で1000万回以上上演されています。エリザベートは今や多くの国で愛される存在となっているのです。