オードリー・ヘップバーンの美しさと素顔について

公開日:  最終更新日:2014/12/28

オードリー・ヘップバーン
1929年5月4日生まれ(〜1993年1月20日)
画像引用元:オードリー・ヘプバーン – Wikipedia

「永遠の妖精」オードリー・ヘップバーン

 好きな映画女優にオードリー・ヘップバーンの名前をあげる人も多いでしょう。美しい微笑とほっそりとした姿、彼女は20世紀を代表する映画女優のひとりです。「ローマの休日」で彼女がみせた可憐でちょっといたずらな可愛らしい王女アンは、多くの人々を魅了しました。初主役にしてアカデミー主演女優賞、ゴールデングローブ主演女優賞などを受賞し、輝かしい映画女優としての人生を歩み始めたのです。

 「麗しのサブリナ」では恋に揺れる少女を繊細に表現しました。細身のパンツとフラットシューズを組み合わせたスタイルは今も人気です。「ティファニーで朝食を」で演じたホリーは、自由奔放でアンニュイな大人の女性。巻き上げた髪にパールのネックレス、黒いドレスの洗練された姿は美しく、ジバンシーのドレスは20世紀のファッション史上、最も有名なドレスといわれています。ラフなスタイルでギターを抱え、窓辺で「ムーン・リバー」を歌う姿も心に残るシーンです。「戦争と平和」、「パリのフランス人」、「シャレード」など数多くの映画でさまざまな女性を演じ、映画史上にその名を残しました。

苦しかった少女時代

 オードリーは、1929年ベルギーのブリュッセルに生まれました。父方はイギリス・オーストリア系だったため、国籍はイギリスです。母方はオランダ貴族の家柄でした。1935年父親は家を出てしまいます。彼女は母の故郷オランダに戻り、5歳からバレエを習い始めました。ところが、1940年ドイツがオランダに侵攻。

 彼女は飢えに悩まされ、苦しい子供時代を過ごしました。ユダヤ人が強制収容所に送られるのを何度も目撃したそうです。そんな中、バレリーナとなったオードリーは、反ドイツのレジスタンスの資金を稼ぐため舞台に立ちました。

ユニセフ親善大使として

 1989年オードリーはユニセフ親善大使となり、内戦で苦しむエチオピアやスーダン、中米のエルサルバドル、バングラデシュ、ベトナムなど多くの国々を訪れました。飢えで苦しむ子供たちの姿に彼女は心を痛めました。彼女の熱心な支援活動の背景には、第二次世界大戦中の辛かった少女時代があるといわれています。

 1993年オードリーはスイスの自宅でガンでなくなりました。63歳でした。美しく可憐な彼女の姿は、死後20年以上経つ今なお人々の心に刻まれています。

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