マイヤ・プリセツカヤ、バレエに生きるー究極の美を求めて

公開日:  最終更新日:2014/12/28

マイヤ・プリセツカヤ(Майя Михайловна Плисецкая)
1925年11月20日生まれ
画像引用元:マイヤ・プリセツカヤ – Wikipedia

現代最高のバレリーナ

 「マイヤ・プリセツカヤ」という名前を聞いたことがあるでしょうか?プリセツカヤはロシア・ボリショイバレエ団のプリマバレリーナで、20世紀最高のバレリーナの1人といわれています。

 彼女の踊る「瀕死の白鳥」の繊細で美しい腕の動きは、息をのむ程美しく、その描き出す生と死の世界は見る人の心に大きな感動を与えました。「白鳥の湖」のオデットとオディールや「眠れる森の美女」のオーロラ姫も当たり役といわれました。一方で「カルメン」などではダイナミックで力強い踊りを披露しました。彼女の踊りは滑らかでありながら力強い、と評され、その跳躍力と柔軟性、技術力の高さはバレエ界に衝撃を与えました。

「闘う白鳥」 共産党政権下のソ連で

 プリセツカヤは、名門の家柄に生まれましたが、その半生は決して幸せなものではありませんでした。1925年モスクワで、バレリーナや芸術家を多く輩出する名門のユダヤ人家庭に生まれ、9歳からバレエを習い始めます。しかし12歳の時、父親はスターリンによって粛正され、翌年母親はカザフスタンへ強制労働に送られて一家は離散してしまうのです。プリセツカヤは、ボリショイのバレリーナであった叔母に引き取られ、逆境の中、ひたすらバレエへの夢に邁進しました。

 18歳でボリショイバレエ団に入団、ほどなくソリストとしてその才能を発揮します。しかし、ユダヤ人であったが故に迫害は続き、ソビエト政権の厳しい監視下に置かれ、貧しい生活を強いられました。冷戦下において、政府は、亡命を恐れ、海外公演の許可などもなかなか出さなかったのです。しかし、彼女は、たとえ西側に行くチャンスがあっても決して亡命しようとはしませんでした。それを祖国への裏切り行為と考えていたからです。そして、ただひたすら踊り続けたのです。

 その頃の様子は自伝「闘う白鳥」に詳細に記されています。

80歳を過ぎて、なお美しく

 プリセツカヤは、65歳でボリショイバレエ団を引退しましたが、その後もマイヤ・プリセツカヤ国際バレエコンクールの審査長を務めるなど、バレエのために尽力しています。彼女は踊りにも自分自身の生き方にも、強い信念をもつ人です。80歳を過ぎてもなお美しく、しなやかに生き、自分の道を求めて歩む姿は、多くの女性の心を惹き付けることでしょう。

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