日本女性活躍の先駆者・平塚らいてうから学ぶ太陽のように輝く女性
平塚らいてう
1886年2月10日 生まれ(〜 1971年5月24日)
画像引用元:Raicho Hiratsuka.jpg – Wikimedia
日本女性の活躍に一翼担った平塚らいてう
日本で女性が参政権を得たのがいつからか、ご存知ですか?日本で女性が参政権を得たのは第二次世界大戦敗戦後の1945年の12月です。これまで「男は仕事、女は家庭」といった風習が日本にあり、今でもこの風習は少なからず残っています。しかし、昔に比べれば時代は大きく変わり、女性も働き、キャリアを身につける場が増えてきています。このような女性の社会参加に大きな影響を与えたのが平塚らいてうです。
平塚らいてうは、女性が自由に意見を交換できる場や、女性の文学集団「青鞜社(せいとうしゃ)」の設立、女性の選挙運動を主にした「新婦人協会」の設立をしたり、女性の活躍に大きな後押しをした女性です。
女性の活躍できる場が少ないことに疑問を抱く
明治時代、女性は良妻賢母であるべきとされており、平塚らいてうもまた父親から女学校以上の学問は不要といわれていました。しかし、彼女は勉学に興味を持ち、性差別や男尊女卑の社会に疑問を抱きます。そして彼女は明治時代後期から生涯、女性の活躍の場を与えるのに大きな影響を与える人生を歩みました。
1911年(明治44年)、女性の文学集団「青鞜社」を設立し、女性が意見を自由に言える場として「雑誌・青鞜」を発行しました。平塚らいてうは、次の言葉を雑誌に載せています。
元始、女性は実に太陽であつた。
真正の人であつた。今、女性は月である。引用元:平塚らいてう
この言葉は、女性は太陽のように自分から輝くことができるのに、今は太陽がないと輝けない月のように人に依存しているといった意味で、女性の才能発揮や自立を促したものでした。当時、この言葉は多くの女性の共感を呼び、平塚らいてうのもとに沢山の女性が訪れました。
その後「新婦人協会」の設立をし、女性の選挙権運動にも参加しました。現在、男性も女性も関係なく選挙に参加していますが、当時の女性の活躍によって女性の活躍の場が広がっていきました。
太陽のように輝く女性へ
平塚らいてうは、才能というものは男女のどちらの性であろうと関係ないのであるから女性も活躍するべきだと訴えました。近年、様々な分野で活躍している女性も多いです。らいてうの言葉の「女性は実に太陽であった。」とあるように、原始の女性本来の強さ、美しさ、太陽のような大きさを持ちたいものです。