女性として強く生きたエバ・ペロンから学ぶ「自分らしく生きるということ」
エバ・ペロン
1919年5月7日 生まれ(〜1952年7月26日)
画像引用元:アルゼンチンの歴史 – Wikipedia
通称「エビータ」
ミュージカルや映画にもなっているエバ・ペロン。通称エビータが今でも愛され続けている理由とは?
アルゼンチンの映画やラジオ声優として活躍していたエバは、パーティーで後の大統領であるフアン・ペロンと出会いました。この出会いこそがエバにとっては、人生の大きな分岐点でした。
フアン・ペロンはエバと出会ったときから政界で影響力持つ人物でした。エバは愛人という立場で彼を支えました。エバはフアン・ペロンの政治活動の手助けをし、ラジオなどで政治を国民に伝え、同時にフアン・ペロンの宣伝活動もしました。結果的に貧しくて十分な教育を受けていない人々からエバは支持され、人気を得ることに成功しました。
下層階級からの支持を得るも財政破綻へ
フアン・ペロンと正式に結婚したエバは、ファーストレディとなり政治活動に積極的に参加しました。彼女は女性に参政権を与えることを訴え、肉体労働者の人たち、いわゆるブルーカラーへ毛布や食料を支給する「ばらまき政策」を通じて支持を得ることに成功します。しかし、税金や献金を惜しげもなく使っていたため、アルゼンチンの経済に影響を与えました。このときのエバはファーストレディとして、贅沢な暮らしをしており、高級なドレスや靴などを税金で購入していたといわれています。
エバの贅沢な暮らしや、選挙で当選していないにもかかわらず政治へ介入したこと、育ちが貧しく、教育もまともに受けていないなどの理由から富裕層から批判を受けました。
自分らしく生きるということ
エバは教育は受けていなかったかもしれませんが、批判に屈することなく彼女らしく生きました。その強さに憧れる女性も少なくないのではないでしょうか。
生まれは貧しい村でしたが、彼女は有名になるために努力をしていました。もちろんその方法は男性に取り入るなど様々でしたが、ばらまき政策などは自身も貧しい生活を経験していたからこそ貧しい人々の生活改善を考えたものだったのではないでしょうか。彼女のまっすぐなバイタリティーこそが彼女の人気の秘密なのでしょう。