愛と信念の98才最高齢女医・貴島テル子
貴島テル子
1916(大正5)年生まれ
画像引用元:【人の縁の物語】<31>ゆいぶみ 「手紙」が伝える戦争(3) 150通のラブレター – 西日本新聞
98才、日本最高齢の現役女性小児科医
貴島テル子さんは宮崎県で開業する今年98才の現役小児科医です。
その年齢と今までの人生の苦労を全く感じさせない、美しくはつらつとした笑顔がとても優しい女性医師です。
開業して40年以上、地元では親子2代3代にわたってお世話になる家庭も多く、みんなの頼りになる優しいお母さんとしての存在でもあります。彼女はどのように医師を志し、女性としての人生を送ってきたのでしょうか。
短く散った真実の愛の生活
貴島テル子さんは1916(大正5)年に8人兄弟の4女として誕生、女学校時代には医師となり自ら職業を持って自立した生き方を夢見ていましたが、
当時は女性は家庭に入るものという強い風潮がある時代で卒業後は花嫁修業をしていました。
そして貴島政明さんという海軍航空予備学生としてパイロットになる訓練を受けていた青年と出会います。その誠実で潔い人柄と優しさに惹かれ、2人は手紙のやりとりで愛を深めていきました。
政明さんはテル子さんの医師になりたいという夢を応援する、女性の自立を当たり前として受け入れる度量があり、当時には珍しい斬新な考え方の持ち主であったこともテル子さんはとても尊敬していました。
戦争が始まればその命を捨てることが運命である軍人との結婚に大反対の両親も、その2人の深い愛情での結び付きをほどくことは無理だと観念し、2人はともに24歳の1941(昭和16)年に結婚式をあげます。
しかし、戦争は激化。政明さんは戦地に召兵されました。
2人で永遠の愛を誓い、将来を夢見てともに夫婦として一緒に暮らせたのは結婚から数十日間だけという、挙式から1年にも満たない短いうちに政明さんは操縦していた飛行機が撃墜され戦死しました。
心に宝物をもつ
最愛の夫の死という残酷な運命打ちのめされたテル子さんに残されたのは政明さんが優しく愛の言葉をしたためてくれた150通もの手紙、ラブレターです。
立派な人柄の夫が優しく語りかける愛の手紙の中に「最愛のテル子へ 余亡き後しかるべく身を処されよ」「テル子の将来の幸福を祈りてやまず」という、胸の締め付けられるような覚悟の文章がありました。
政明さんの父親が開業医であったため、政明さんの代わりに自分がその志の跡を継ぎ医者になるべく27歳から猛勉強を始めました。そしてテル子さんは貴島の姓を生涯名乗り、54才という年齢で小児科医をして開業したのです。
小児科医を選んだのは、愛する政明さんとの間に子供が持てなかった分、世の子どもたちを愛を持って診て育てることで自分と夫の遺志を活かそうと考えたからでした。今も変わらず夫を愛し続けているというテル子さん、心に宝物をもつことが自分を支えてくれるとおっしゃいます。
テル子さんの宝物は現在も大切に保管されている150通もの政明さんと心を通わせたラブレター、そして今も心に鮮やかに生き続ける政明さんの姿なのです。深く人を愛し愛されるという経験、その愛がいつまでも自分の心で宝物となり自らの人生を輝かせてくれるとすればその宝物を手に入れた貴島テル子さんの生き方は人間として女性として最高のものだと言えるでしょう。