偉大なリケジョ!マリ・キュリーから学ぶ困難な壁も乗り越える幸せの法則とは?

公開日:  最終更新日:2015/12/10

キュリー夫人

マリ・キュリー
1867年11月7日 生まれ(〜1934年7月4日)
画像引用元:Marie Curie – Wikipedia

女性初ノーベル賞受賞者のキュリー夫人

 我々にはマリ・キュリーよりも「キュリー夫人」のほうが聞き慣れているかもしれません。最近定着した「リケジョ(理系女子)」の偉大なる大先輩とも言えます。物理学者であり、化学者でもあるマリ・キュリーは、夫ピエールとともに放射能の研究で女性初のノーベル賞を受賞した人物です。

 マリ・キュリーはポーランドで生まれ、10歳の頃から知識豊富な秀才でした。当時のポーランドはロシアの支配下にあり、母国ポーランドの言葉を使うことができませんでした。ロシアから学校に視学官が来ると、ロシア語で答えなければならず、彼女にとっては屈辱でした。ロシアの支配下で彼女の愛国心はさらに深まったのでした。ノーベル賞のきっかけの一つである 「ポロニウム」 は 「ポーランド」が語源となっています。

 同じ道をめざす夫と出会い、二人で研究に明け暮れる日々。苦しくても充実した日々が続きました。ところが夫ピエールが、突然事故で亡くなってしまいます。深い悲しみと喪失感から、研究する気力を失いかけます。しかし夫の死から1か月後に、義父と娘たちを養うため、亡き夫の遺志を受け継ぐため、夫の研究を引き継ぐ決意をしました。

 マリ・キュリーを救ったことの一つに日記をつけるという作業があります。その行為は一時苦しみを日記帳の中に預け、気持ちを整理し心を軽くする作用がありました。そして何より彼女を救ったのは研究者として生きること、打ち込める研究を持っていることでした。

幸せを感じられることが成功のカギ

 研究者として成果や結果で賞を受けることは最も幸せな瞬間でしょう。しかしマリ・キュリーは大量の鉱石くずと格闘しながら、夫と研究に没頭しているときが最も幸せな時だったと語っています。夫を亡くした苦しみもそのほかの苦難も研究に没頭することで忘れることができました。研究をやり抜くには熱中できる集中力を持っていること、それを幸せと感じる能力が必要です。多くの努力と犠牲が払われなければなりません。そして二度のノーベル賞を受賞しています。まさに元祖「リケジョ(理系女子)」として偉大な存在と言えます。

 仕事や私生活でつらい時があるかもしれません。それでも、マリ・キュリーのように好きなことに熱中できる喜びや幸福を感じることで、その先に進むことができます。困難な壁に出会った時こそ、彼女の生き方を参考にして、あきらめずに続けてみてはどうでしょうか。

 マリ・キュリーは、一度目は放射能の研究で、二度目はラジウムとポロニウムの存在証明とラジウムの研究でノーベル賞を受賞しています。そして、女性初の大学教授でもあります。家族でも多くの功績を残し、娘夫婦の功績も加えると家族で通算5回もノーベル賞を受賞しています。


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