モナコ公妃グレース・ケリーの華麗なる人生とは

公開日:  最終更新日:2014/12/28

グレース・ケリー
1929年11月12日生まれ(〜1982年9月14日)
画像引用元:グレース・ケリー – Wikipedia

クール・ビューティーといわれた女優

 エルメスの「ケリーバッグ」といえば女性なら誰もが憧れるエレガントなバッグ。その名前の由来となったのがグレース・ケリーというアメリカの女優です。「喝采」でアカデミー主演女優賞を受賞しました。ところが、「上流社会」に主演した後、人気絶頂の中で女優業を引退してしまいます。

 そして、モナコ大公のプロポーズを受け入れ、モナコ公妃となりました。その気品ある美しさゆえに「クール・ビューティー」といわれたグレース・ケリー。彼女の結婚は、20世紀最高のシンデレラ・ストーリーとして祝福されました。

女優から公妃へ

 1929年グレース・ケリーは米国フィラデルフィアの裕福な家庭に生まれました。父親はスラム育ちの煉瓦職人でしたが、ボート競技に才能を発揮してオリンピックで金メダルを獲得、その後煉瓦会社でも成功した人物です。母は元モデル、兄もまたボート競技で銅メダルを獲得しています。幼少期から芸術に親しんだグレース・ケリーは、高校卒業後女優を志してニューヨークへ向かいます。

 1949年に20歳で舞台デビュー。その後、ハリウッドへ向かい、1951年22歳で映画デビューしました。そして、西部劇「真昼の決闘」でゲイリー・クーパーの相手役に大抜擢。ヒッチコック監督にも気に入られ「ダイヤルMを回せ」、「裏窓」、「泥棒成金」など次々と主演を務めます。そして、1955年ピング・クロスビー主演の「喝采」でアカデミー主演女優賞を受賞、1956年にはミュージカル「上流社会」ビング・クロスビー、フランク・シナトラと共演しました。彼女は多くの俳優と噂があり、恋多き女性であったといわれています。

 モナコ大公と出会ったのは1955年のカンヌ国際映画祭です。その翌年の4月に結婚。モナコ大聖堂での挙式はヨーロッパ諸国で生中継され、その美しさは世界中の女性を魅了しました。その後、グレース・ケリーは3人の子供に恵まれ、幸せな結婚生活を送ります。

 ところが、1982年自ら運転して南フランスの別荘からモナコへ戻る途中、脳梗塞を起こしてガードレールに激突、崖下に転落して、その命を落としてしまいます。まだ52歳の若さでした。モナコ大聖堂の葬儀には、各国の王族を始め、ハリウッド俳優も多数参列しました。
グレース・ケリーの美しさは、今もなお人々の心に輝き続けています。

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