セクシー女優マリリン・モンローの素顔とは
マリリン・モンロー (Norma Jeane Baker)
1926年6月1日生まれ(〜1962年8月5日)
画像引用元:マリリン・モンロー – Wikipedia
永遠のセックス・シンボルと呼ばれて
くるんとカールしたプラチナ・ブロンド、透き通るような白い肌に細い眉、ぷっくりとした唇にほくろ。世界で最もセクシーな女優といえばマリリン・モンローでしょう。地下鉄の通風口の上でスカートが風でふわっと舞い上がったのをおさえる彼女のセクシーな画像をご覧になったことがある方も多いでしょう。
その独特な歩き方はモンロー・ウォークと呼ばれました。「夜はなにを着て寝るのですか」と質問され「シャネルの5番よ」と答えたというエピソードも有名です。マリリン・モンローは、そのセクシーな魅力から20世紀を代表するセックス・シンボルと呼ばれました。
華やかな姿にかくされた素顔
マリリンは1926年ロサンゼルスに生まれました。母親は精神的に不安定であったため、孤児院や里親の家を転々として、辛い幼少時代を過ごします。1942年に16歳で最初の結婚。19歳のとき、写真が雑誌に掲載されたことがきっかけで、モデルとなり、翌1946年には離婚、映画女優としての道を歩み始めました。
1953年「ナイアガラ」、「紳士は金髪がお好き」、「百万長者と結婚する方法」と次々に主演作がヒット、トップスターとなります。1954年元ニューヨーク・ヤンキースのプロ野球選手ディマジオと2度目の結婚。新婚旅行では3週間来日しファンが殺到しました。在韓米軍も慰問しますが、そのためにディマジオとの関係は悪化。翌1955年には離婚しました。「七年目の浮気」が撮影されたのはこの年です。
劇作家アーサー・ミラーとの3度目の結婚は翌1956年から1961年まで。その頃から精神的に不安定で睡眠薬の過剰摂取などをし、精神病院へも入院したマリリンは、境界性人格障害という診断を受けました。これは幼少期に受けた性的虐待が原因だともいわれています。
ジョン・F・ケネディとの関係
マリリンはジョン・F・ケネディ大統領とも不倫関係でしたが、紹介したのがマフィアのボスであったことからFBIのフーヴァー長官により忠告を受け、1961年にその関係は終りました。彼女はケネディの弟ロバート・ケネディとも噂がありました。
1962年5月のケネディ大統領45歳の誕生日パーティにはセクシーなドレス姿で登場、「ハッピーバースデー・ミスタープレジデント」とハスキーな歌声で歌います。そしてその3ヶ月後の8月5日、自宅で全裸で死んでいるところを発見されました。36歳の若さでした。
死因は睡眠薬の大量服用であり、自殺と伝えられましたが、大統領やマフィアと関係があったことから謀殺されたとの説も広がっています。彼女の美貌は、その謎の死と共に永遠に語り継がれることでしょう。