夫婦の愛によって過酷な人生を乗り越えたマリー・テレーズ
マリー・テレーズ・シャルロット
1778年12月19日 生まれ(〜1851年10月19日)
画像引用元:Madame Royale1 – wikimedia
冷たい表情と有名だったマリー・テレーズ
マリー・アントワネットの娘、マリー・テレーズ。辛い過去を乗り越えるためにどのような人生を送ったのでしょうか。
フランス革命での逃亡生活、三年程の幽閉生活、繰り返される亡命生活、七月革命と時代の変わり目を生きたマリー・テレーズ。並べるだけでも、彼女の壮絶な人生を想像することができます。
波乱の人生を送った彼女は、冷たい表情をしていると言われていました。しかし、一時だけ、明るい表情を取り戻したことがあります。
今回は、彼女のフランス革命での逃亡生活と三年間の幽閉生活後にどのような人生を歩んだのか、お話していきたいと思います。
暗い少女時代からの脱却
フランス革命で逃亡生活と三年間の幽閉生活を経験した彼女は、孤独と戦いながら少女時代を過ごしました。孤独ながらも、父ルイ十六世と母マリー・アントワネットを死に追いつめた人間を許して欲しいと、神に願った文章を牢獄の壁に刻んだのでした。
捕虜の交換により幽閉生活から解放されたテレーズは、叔父のプロヴァンス伯爵の勧めにより従弟のアングレーム公爵と結婚します。この結婚生活が彼女にとって、もっとも幸せなときだったのではないでしょうか。
夫のアングレーム公爵は、優しく、部下からの信頼も厚く、とても人柄の良い男性でした。背が低いため、外見にコンプレックスを感じていましたが、そんなことはマリーには関係なく、二人は相思相愛でした。
金銭的な苦労もなくなり、優しい夫と過ごしていたテレーズは、冷たい表情が溶けるように明るく美しい女性になっていきます。
テレーズは、忘却と団結という言葉を良く使っていました。辛い過去を忘れ、団結することを強く望んでいたのです。
夫婦の愛によって変わった人生
テレーズにとって、アングレーム公爵との生活が彼女の冷たい表情と心を溶かしたのではないでしょうか。
二人の間に子供はできなかったものの、その後もテレーズは夫の実家であるブルボン家の再興に力を注ぎました。
後半生はまた厳しい亡命生活となりましたが、伴侶を得て一時は人を許すことができたのです。アングレーム公の愛が人をやさしくすることを証明しています。