欲望の赴くままに生きることは正しい?おてんば娘のマリー・アントワネットの生き方とは

公開日:  最終更新日:2015/06/26

マリーアントワネット

マリー・アントワネット
1755年11月2日生まれ(〜1793年10月16日)
画像引用元:マリー・アントワネット – Wikipedia

母マリアの言うことを聞かないマリー

 神聖ローマ皇帝フランツ・シュテファンとマリア・テレジアの間に生まれたマリー・アントワネット。母マリアはルイ十六世との結婚することになっていたマリーに教養を身につけてもらうために一生懸命でした。

 しかし、年頃のマリーは勉強が苦手でなかなか身につかず、オペラやバレエを観覧したり、家族で狩りに出かけるのを好む活発な女の子でした。

満足できなかったヴェルサイユ宮殿の生活

 マリー・アントワネットは14歳という若さで(ルイ十六世は15歳)結婚することになりましたが、結婚式ではルイ十六世がマリーの手を握ることは一度もなく、夫婦の仲は円満ではありませんでした。

 ルイ十五世が亡くったことで王妃となったマリーはまだ18歳、王妃としての自覚もなかったため、年上の公爵夫人に敬意を払わなかったり、舞踏会やお芝居の催しを任されていても気に入らない人物がいると宮殿から追い出してしまうような行動をとっていました。そのため、身分の高い人達から嫌われるようになってしまいました。

 一方、国王となったルイ十六世は趣味の狩猟と錠前作りに没頭し、マリーには関心を寄せませんでした。その夫婦生活に嫌気が差してしまったマリーは、夜になると国王が眠ったことを確認すると、華やかなパリの街へ飛び出して行くのでした。

子供が生まれても変わらないマリー

 マリーの身を案じた母マリアは息子のヨーゼフ二世(神聖ローマ帝国皇帝)をフランスに送り、ルイ十六世と話をすることで夫婦の関係を修復した結果、4人の子供を授かることができました。

 しかし、子供が幼かった頃のマリーは子煩悩で夜遊びが減ったものの、いつしか仮面武道会にお忍びに出かけたり、派手な装飾品やドレスを買うようになりました。

国民の怒りを買い、処刑される

 当時の貴族は地位や名誉のために借金をすることは当たり前ですが、マリーは国費にまで手を出してしまいました。これが国民の怒りを買ってしまい、また公爵夫人が起こした詐欺事件(首飾り事件)にも巻き込まれ、マリーのイメージは地に落ちました。その結果、フランス革命の際に囚われの身となり、処刑されました。

首飾り事件 – Wikipedia

欲望の赴くままに生きることが正しいわけではない

 贅沢な生活を送り続けた結果、国民に財政破綻の責任を負わされ、逃亡するも死刑を言い渡されたマリー・アントワネット。贅沢なことをすることは悪いことではありませんが、自分のことだけしか考えない生き方をしていては周りに反感を買い、誰も助けてくれなくなります。私達には極端な話ではあったかもしれませんが、現代の複雑な社会で生じるストレスに嫌気が差して、周りをきにせず贅沢三昧したいと思うときはありませんか?

 マリーのように周りから目を背き欲望しか見ない生活を目指すのではなく、現実と向き合いながらも時には贅沢をしてストレスを発散できるような、うまく折り合いをつけられる生き方を目指したいですね。

ご意見やいいね!をシェアしていただけると嬉しいです!

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • 0

Sponsored Link

  • Twitter & Facebook

  • Femininseについて

     女性著名人の生き方や男女の感性を学び、女性らしさを磨きたい女性や、女性の考え方を理解したい男性に参考になる情報を紹介していきます。

     感性という分野を勉強してきましたが、私もまだまだ分からないことがたくさんあります。是非、シェアして意見を聞かせていただけたら幸いです。

    ※不定期配信で投稿していきます。

PAGE TOP ↑