フランスを救った純白な乙女 ジャンヌ・ダルク
ジャンヌ・ダルク
1412年1月6日生まれ(〜1431年5月30日)
画像引用元:ジャンヌ・ダルク – pixabay.com
平凡に暮らしていたジャンヌに神のお告げ
フランスの国民的英雄ジャンヌ・ダルクは、百年戦争の末期頃に歴史の表舞台に登場します。ドンレミ村で生まれたジャンヌは、とても平凡に暮らしていました。
ある日、ジャンヌの前に幾人かの天使が現れ、「フランス国王を救いに行け。オルレアンの包囲を解くのだ。」と神のお告げを聞くことができるようになります。そのときの天使の一人は、有名な審判と戦の天使ミカエルだったと言われています。
ジャンヌはその後もいくつかのお告げを聞いていたのですが、村娘に過ぎなかったジャンヌは、乗馬も、兵士を指揮することもできないため、誰にも相談できずに3年程の月日を過ごしました。ジャンヌがお告げを打ち明けるきっかけとなったのは、結婚話を持ち上がったときです。このとき、ジャンヌのお告げの話を聞いた彼女の伯父デュランは、1428年5月にジャンヌを連れ出します。
伯父とともにヴォークルールからシノンへ旅立ったジャンヌは、シャルル王太子に出会い、神のお告げがシャルル王太子に王位に就くように命じていると伝えました。シャルルは翌日に様々な試験をジャンヌに課し、その結果としてわずか17歳の若さで戦闘司令官としてオルレアンに赴くこととなったのです。
オルレアンの解放と裏切り
オルレアン解放を果たしたジャンヌのニュースは少女の奇跡としてパリまで届きました。その後、シャルルは戴冠・聖別式を行い国王となりました。このとき、ジャンヌに感謝した国王シャルルはジャンヌと二人の兄を貴族にし、故郷の全ての税を永久免除としました。
しかし、国王となったシャルル王太子はジャンヌの言葉を聞かなくなり、ジャンヌの国民からの支持や名声に嫉妬したためなのか、ジャンヌが捕虜となったときに救出へと大きく動くことはなかったと言われています。(和平工作なども影響しているなど、さまざまな推測があります。)
異端裁判
捕虜となったジャンヌは、イギリスへと身柄を引き渡され、司教ピエール・コショールによって異端裁判にかけられてしまいます。純粋な信仰心から答弁をするジャンヌが異端であることを証明することは決して簡単ではありません。
ジャンヌは女性物の服を着るものの、捕虜のときの恐怖から自分の身を守るため男装をしてしまいました。当時カトリック教では異端で神の法に背くとして、女性が男性物を着ることは許されることはありませんでした。このことでジャンヌは火刑の判決が下されました。
広場の火刑台に縛られたジャンヌは、イギリス兵に十字架を求めました。薪で作った十字架を握りしめたジャンヌは業火に包まれ最後を遂げました。業火に包まれながらも、「イエス様」と叫び続けたジャンヌの最後に広場にいたものたちが涙したそうです。