報道写真家ゲルダ・タローの美しき横顔

公開日:  最終更新日:2014/12/28

ゲルダ・タロー
1910年8月1日生まれ(〜1937年7月26日)
画像引用元:ゲルダ・タロー – Wikipedia

スペイン内戦の陰で

 20世紀初めの女流報道写真家ゲルダ・タロー。彼女の名前は知らなくても、報道写真家ロバート・キャパの名前なら、聞いたことがある人はいるでしょう。彼は1936年スペイン内戦時に「死の瞬間の人民戦線兵士(崩れ落ちる兵士)」という写真で一躍有名になったアメリカ人戦争カメラマンです。しかし、それは、実はハンガリー出身のユダヤ系写真家アンドレ・フリードマンが、政治的な軋轢を逃れアメリカで写真を売り込むために作った架空の名前と経歴でした。そして、その仕掛人こそがゲルダ・タローだったのです。

 彼女は、女優のような美貌を持ちながら、アクティブで飾らない女性でした。ふたりは内戦が勃発したスペインに向かい、数々の写真を撮影してキャパの名前で発表、戦争の真の姿を世界に伝えていきました。

ユダヤ人として生まれて

 ゲルダ・タロー、本名ゲルタ・ポホリレは、1910年、ドイツのユダヤ系ポーランド人の家庭に生まれました。ナチスの台頭に伴い、彼女は左翼組織に参加しますが、逮捕拘留の末ドイツを去ることとなり、一家は離散。その後、彼女は2度と自分の家族に会うことはありませんでした。

 1934年ゲルダはパリへ引っ越し、翌年アンドレに出会い、撮影技術を学びます。そして、その頃写真を売るためロバート・キャパという架空の人物を作ることを思いついたのです。
彼女自身はスウェーデンの映画女優グレタ・ガルボと日本人芸術家岡本太郎にちな、ゲルダ・タローと名乗りました。

 1年間ほど共に活動した後、ゲルダはアンドレのプロポーズを断り、独自に撮影活動をしていきます。反ファシズムを標榜し、当時ヘミングウェイが参加していた組織とも関係を持っていました。バルセロナ、マドリッドと最前線に赴き、精力的に撮影した彼女の写真は、戦争の実態を世の中に知らせる貴重な資料となりました。

 1937年ゲルダは共和国軍敗走の混乱に巻き込まれ、戦車に轢かれてなくなります。享年25際でした。彼女の短くも激しい炎のような生き方は、今も多くの人々を魅了してやみません。

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